


自治体のご紹介
嘉麻市は2006年、山田市(やまだし)、碓井町(うすいまち)、
稲築町(いなつきまち)、嘉穂町(かほまち)の
1市3町が合併して誕生した、人口約3万5千人のまちです。
南部は古処・屏・馬見連峰、南東部は戸谷ヶ岳、熊ヶ畑山などの山林で、
遠賀川(おんががわ)が南から北に流れ、北部及び北西部に流域平野を形成しています。
市全体の約72%が森林と耕作地で、水と緑が豊富な地域。
古墳時代の昔から現在に至るまで、長い歴史があり、
史跡や伝説が各所に残っています。
嘉麻市は2006年、山田市(やまだし)、碓井町(うすいまち)、
稲築町(いなつきまち)、嘉穂町(かほまち)の
1市3町が合併して誕生した、人口約3万5千人のまちです。
南部は古処・屏・馬見連峰、南東部は戸谷ヶ岳、熊ヶ畑山などの山林で、
遠賀川(おんががわ)が南から北に流れ、北部及び北西部に流域平野を形成しています。
市全体の約72%が森林と耕作地で、水と緑が豊富な地域。
古墳時代の昔から現在に至るまで、長い歴史があり、
史跡や伝説が各所に残っています。
馬見山・江川岳・屏山・古処山からなる通称嘉穂アルプスは、2016年度には九州で2例目となる日本山岳遺産に認定されました。見所も豊富で、特別天然記念物にも指定されているツゲの原始林の他にオオキツネノカミソリ、ニシキキンカメムシなどの貴重な生態系が保全されている自然豊かな山域です。
「山野の楽」は、家内安全、五穀豊穣などを祈願する水神祭りで、「かっぱ祭り」とも呼ばれます。寛元2年(1244)に、宇佐八幡宮から伝えられ、明治13年(1880)に一時中断しましたが、同23年に復活し、今日にいたっています。
画家・織田廣喜は大正3年(1914年)、当時の福岡県千手村(現・嘉麻市)に生まれ、碓井村(現・嘉麻市)で少年時代を過ごしたあと上京。哀愁を感じさせる女性の姿や、幻想的に書かれた風景が特徴の画家です。平成8年複合文化施設碓井琴平文化館の一施設として開館しました。
北部九州最大の川である遠賀川、その源流は嘉麻市の馬見山の山中にあります。そこから湧き出た水は、穂波川や彦山川など多くの川と一緒になりながら、響灘へと注ぎます。遠賀川は、とくに筑豊地方に古来より稲作文化を形成し、近代になってからは、石炭産業を支えたことから、人々の間では「母なる川」と呼ばれてきました。
沖出古墳は、遠賀川に向かって延びる標高約40mの丘陵の先端部分を利用して造られています。墳丘は全長約68m、前方部が2段、後円部が3段の構造で、斜面には石が葺かれています。墳丘上には壺形・円筒・朝顔形・家形の埴輪が立てられ、後円部には、埋葬施設となる竪穴式石室に、割竹形石棺が納められていました。
標高約190mの城山(嘉麻市中益)山頂に築かれた山城で、現在は公園となっています。戦国時代には秋月種実の隠居城として、版図拡大のための拠点施設となりましたが、豊臣秀吉の九州出兵により、秀吉と敵対した秋月氏は日向へ移封となります。この時、秀吉は占拠した大隈城内に一夜にして城壁を築き、古処山に逃れた秋月氏を降参させたという「一夜城伝説」が伝えられています。
昭和63年に廃線になった上山田線を利用したイベント「くまがはたトロッコフェスタ in Yamada」。線路を利用したイベントは全国でも珍しく、毎年、多くの人で賑わっており、春と秋の年に2回開催されています。
下臼井西の盆綱引きは今から150年ほど前に始まったと言われています。山で採ってきたフジカヅラを芯に束ね、それにワラをねじ込んで直径30cm、長さ20mにも及ぶ大綱を作ります。かつては、家内安全、無病息災などを祈り、盆の16日に綱引きが行われていましたが、現在は8月15日に行われるようになりました。綱引きの勝負よりも、綱を引っ張り合って切ることに意味があると考えられています。
豊臣秀吉にまつわる一夜城伝説が残る益富城址でおこなわれる祭り。毎年秋に開催され、連日ライトアップされた荘厳な一夜城が益富城址に蘇ります。
嘉麻市梅林公園では、2月中旬から1カ月ほど、およそ400本の紅梅と白梅が見頃を迎えます。期間中は接待所が設けられ、湯茶のサービスのほか、公園内でとれた梅を使用した梅干しなどの販売も。猿回し等のイベントも開催され、毎年多くの観光客で賑わいます。
農林業や商工業の振興、観光・イベント事業などに使われます。
高齢者・障がい者福祉事業、子育て支援事業などに使われます。
自然環境保護、公園整備、防災・交通安全対策事業などに使われます。
学校教育の充実、生涯学習・スポーツの推進、文化活動支援事業などに使われます。
利便性を高める道路、公共交通、住環境整備事業などに使われます。